今回問題なったセクハラ発言をするような男性は、男性たちにも、過去の「男の価値観」を振りかざす。


なるほど、現在の日本には、過去の「男の価値観」の押し付けがあって、それを我が物顔に主張する層が男女問わずあるということか。なるほど、と思いつつ読みましたので、ここに転載します。

過去の「男の価値観」があり、オーバーラップして過去の「女の価値観」の押し付けもある 男はたくさん稼いで女子供を養わなければならぬ。でも女性が満足する額は稼げない。女性は年収600万以上でないと結婚したくない。つまり女性自身は夫のサポートをして外では働きたくない。働かないですむ人はラッキーとみなされるのだ。「御台所さま」になれたというわけだ。


米国、特にベイエリアは生活費が高いから一家で一つだけの収入ではやっていけない。だからほとんどの女性は自分も稼ぐ。子供がいる場合はベビーシッターに預けるので、その費用が結構かかる。自分の収入とベビーシッター費用のバランスが悪ければやめて自分がベビーシッターになる人もいるが(笑)。収入の問題は大切だが、それが解決できなくても我々にできることはある。どんな環境でも夫々、自分たちの生活を大切にして、他の人々、夫々の「自分らしさ」を尊重しあうことだ。

日本は女より、男の“幸福度“が低い!ー“セクハラやじ”問題の本質とは?
河合薫 | 健康社会学者  2014年6月25日 15時53分 Yahooニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawaikaoru/20140625-00036738/

「結婚できないのか?」「子ども産めないのか?」と女性にセクハラするオッサンは、
「嫁1人見つけられないのか?」「子どもの作り方知らないのか?」と男性にも刃を向ける。

女性が輝ける国にしよう!、だの、ワークライフバランスを徹底しよう!、だの、公約を掲げながらも、
「ナニ? 保育園の迎え? そんな理由で早退するなんて、信じられん」
「40過ぎて女房ひとり探してくることができないなんて、親が泣くぞ!」

などなど、終身雇用、年功序列、専業主婦が当たり前だった時代の、過去の「男の価値観」を、男性たちに平気で押し付ける。
(中略)


なんせ、
・男性の5人に1人が、生涯一度も結婚しない
非正規社員の未婚率は、35〜39歳70.5%、40〜44歳では57.6%
・妻が主婦の場合、夫の「幸福度」が低い

「マジかよ?」とつい口にしてしまいそうな、ニッポンの男たちの現状が、「2014年版男女共同参画白書」で明らかになったのだ。
同白書が発行されて以来、初めて「男性特集」が組まれ、日本社会に根深く残る、「過去の男性観」に苦悩する“男性たち”の姿が、浮き彫りになったのである。
(中略)


だが、「結婚したい」と願いながらも、結婚できない人たちがいるのも、また、事実。その原因の1つが、非正規という“身分格差”だ。

非正規=正社員になれなかった人 ――。そんな価値観が、社会に蔓延していることは否定できない事実である。 
以前、非正規で働いている男性をインタビューしたときに、非正規というだけで、相手の親からダメ出しされた方がいた。

「オレって、相手の親にダメ出しされるほど、ダメな人間なのでしょうか?」

その男性は嘆いていたのである。

そもそも、これだけグローバル化だの何だのと言うのであれば、「非正規社員の賃金は正社員よりも高くて当たり前」という世界の常識に、日本も倣うべき。
残業代ゼロ法案以上に、成長戦略の中で賃金格差をなくす議論をすべきだと思う。「非正規=正社員になれなかった人」といった偏見を完全に淘汰するためにも、正社員との賃金格差解消は必須なのだ。


だが非正規の問題以上に、今回注目すべきは、“未だに”女性のほうが、男性よりも幸福感が高いことだ。

近年、欧米諸国では、幸福度の男女差はなくなってきたとされている。ところが、日本では“いまだ“に、女性の方が高い。これは先進国では、極めて珍しい現象である。

「世界価値観調査」によれば、女性の幸福度のほうが男性を上回っている国のトップグループに、先進国であるはずの日本が位置している。

トップグループに入っているのは、イラク、エジプトなど国内紛争や戦争が行われている国々。つまり、強制的に戦闘参加を強いられ、男性が不幸になりやすい国が、上位にランクされているのだ。

なぜ、戦争も国内紛争もない日本で、ニッポンの男たちの幸福度は低いのか? 彼等の、戦場とは、いったいどこなのか?


それは、おそらく“職場”であり、“家庭”。日本社会そのものが、“戦場”と化しているのではないだろうか。

「男なんだから、しっかり稼ぎなさいよ」
「男なんだから、会社でも偉くなりなさいよ」
「父親なんだから、家族が路頭に迷わないようにしなさいよ」

そんな暗黙のプレッシャーを、夫たちに感じさせる社会が存在する。

「男」というだけで稼げる時代でもなければ、正社員=安定 なんて時代でもない。右肩上がりの給与も期待できなきゃ、いつ「もういらない」と放り出されるかもわからない。

おまけに、長時間労働はちっとも改善されず、 どんなに高い成果目標を突きつけられようとも、「ノー」という答えは準備されていない。
心や身体の健康を壊す同僚を見るたびに、「明日は我が身か?」と切なくなる。「過労死」と「ウツ」と、常に背中合わせの状況で、誰が幸せなど感じるだろうか。


ホントは、もっともっと家庭を優先させたい。会社人でいる前に、家庭人でいたい。
仕事も大事、家庭も大事。女性たちが家庭も仕事も、と願うように、男性たちも願っている。

ところが、それを“許さない”社会が、存在している。

そして、男性たち自身も、無意識に刷り込まれた、“性役割”に囚われ、身動きができなくなっている。それが、今の日本の姿なのだ。

冒頭で書いた通り、今回問題なったセクハラ発言をするような男性は、男性たちにも、過去の「男の価値観」を振りかざす。
(中略)


そして、過去の「男の価値観」の押し付けは、女性たちの中にもある。

いまだに、高学歴、高収入=価値の高い男 とラベリングし、「おたくのご主人、どこにお勤め?」、「どちらの大学?」と、挨拶変わりにする女性は、少なからず存在する。そんな夫をもつ自分は、「価値の高い女」と、勘違いしている人たち。

批判を恐れずに言わせていただくと、自分たちの権利ばかりを主張し、男たちには、過去の性役割を無意識に求めている女性も、男性たちを苦しめているのではあるまいか。

ちょいとばかり言い過ぎてしまったけれど、男であれ、女であれ、「自分らしく」生きたいと思うのは、当たり前だ。女性たちにばかりスポットを当てるのではなく、男性にもスポットを当てることが、みんなのシアワセにつながる。そう考えることは、できないだろうか。
(中略)


「男らしく」と言われ続けてきた男性が「自分らしく」生きられるよう、社会の風潮を変えていくのも大事だが、男性たち自身も、自分らしく生きる覚悟をもったほうがいい。
(以下略)