ベンダサンの『日本教について』正義と不義との争いなどないー何はともあれ≪争うこと≫が不義なのだ、という考え


Study of History 植田先生のメモをメモる
http://8706.teacup.com/uedam/bbs

私は、ベンダサンの『日本教について』を再読することにしました。
 日本人は、議論して正義とは何か、を決める人たちではなく、議論すること自体を悪と見なす人たちである、と書いてあります。

 「元来日本教徒には≪争いそれ自体罪悪である≫という断固とした哲学がありました。これは非常に面白い思想です。正義と不義との争いなどという考えは一切受け入れないー何はともあれ≪争うこと≫が不義なのだ、という考えです。」p.234

 そして、ベンダサンによれば、日本人にとっての「議論」は「争い」です。

....私は、ベンダサンの日本教徒論は、すっかり過去のものとなったと思っていたのですが、山本一太氏のような実例を目の当たりにすると、これは、「いや、どうしてどうして、日本人はまったく変わっていないのかもしれない」と自分の考えを修正する必要に迫られたと感じます。


日本教について』 文藝春秋、1972年イザヤ・ベンダサン

イザヤ・ベンダサン
山本七平の筆名
日本人とユダヤ人』の内容はユダヤ人やその文化に精通している者が関わったとは考えられないものであり、現在では、事実上山本の著作であるとされることが多い。2004年5月発行の角川oneテーマ21版『日本人とユダヤ人』は山本の単独名義で刊行され、解説にも「イザヤは山本のペンネーム」という旨が明記されている。
知り合いのユダヤ人からヒントをもらって自分が書いた」と山本から直接聞いたという証言もある。ジョン・ジョセフ・ローラーは在日米軍の海外大学教育のため来日していたアメリカのメリーランド大学の教授で、1972年の大宅壮一ノンフィクション賞授賞式にはベンダサンの代理として出席した。
ベンダサン名での著作についてはローラーの離日後はホーレンスキーと山本の合作である。

もしも「イザヤ・ベンダサン」氏が実際にユダヤ人だとするならば、それなら彼は、同世代の仲間のユダヤ人との接触から驚くほど遮断されて来たユダヤ人である。彼がユダヤ人について書く書き方は、どんな種類であれ生きた本物のユダヤ人について、ほとんど完全に無知である。

著者の近視眼的な学者ぶったやり方は、彼が真正の日本人にちがいないことを示している。彼が変装に成功したのは、日本の大衆がユダヤ人と限られた接触しか持っていないためである。
原著にあった現代ユダヤ人に関するいくつかの言及のうち大部分は、事実の点でまちがっており、そのため翻訳版の方からは説明もなしに削除された。それらは明らかに、イザヤ・ベンダサンがー彼がだれであるにせよーユダヤ人なのだという悪ふざけを続けるために省かれたのである。