「メルマガ・日本一新」民主党と自由党合併の真相と苦難の道


平野貞夫の「永田町漂流記」
「日本一新運動」の原点(11) ── 民由合併の真相
http://www.the-journal.jp/contents/hirano/
これは抜粋部分で、是非、全文を「永田町漂流記」で読んでください。

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民主党自由党合併の真相と苦難の道

 現在の民主党混迷の原因は、民・由合併時の原点にあることから、まずはそこを検証しておきたい。


平成14年11月、当時の鳩山代表が提唱した合併の提案には、
「国家と国民のため」という崇高な思想があった。
自由党の小沢党首は、その心意気に感じ、無条件で了承したが、
肝心の民主党内がまとまらず失敗し、鳩山代表辞任の引き金となった。


 その後、菅代表となって合併協議を引き継いだが、議論は進化せず、
平成15年5月に協議の打ち切りとなった。
菅代表には、鳩山氏が有していた「思想」の欠落があったからである。


 一方の自由党は、
6月に入ってから民主党との合併は行わないと決し、秋にも予定されている総選挙と、翌年の参議院選挙を自由党独自で戦うべく、
候補者擁立などの準備に入った。


ところが
同年七月中旬、菅代表が唐突にも自由党との合併話を蒸し返してきたのだが、これには民主党内の複雑な内部抗争があり、
今日の問題の原点はここにある。


 当時、鳩山グループに所属していた合併派の友人から相談を受けたが、
菅執行部と鳩山グループとの間に、党のあり方について深刻な意見の対立があったという。
合併に消極的な菅執行部を鳩山グループが激しく突き上げ、
9月には民主党を離党して、自由党と合流したいとの動きが始まったというのだ。


これからは私の推測だが、菅代表はこの鳩山グループの動きを察し、機先を制して唐突に小沢自由党に合併協議を申し込んだのではないか。
菅代表と小沢党首の極秘会談は続き、
7月23日深夜民主党の条件を丸呑みして協議は成立した。


 私は、菅代表が党内権力を維持することだけを目的とした合併話であることを知っていたから、
この話には反対だった。
しかし、小沢党首は「このまま自公政権が続くと国民生活は崩壊する。
日本に与えられた時間はもう少ないのだ」と語り、
「必ず民主党政権交代をしてみせる」と宣言し、自由党内をまとめた。


 民・由合併の時点で、鳩山と小沢の間では
自公政権を崩壊させ、国民生活を守る政権を創る」という基本戦略を共有していた。
しかし、当時から、民主党内には小泉政治に同調するネオ・コン派が暗躍しており
菅体制は党内派閥のバランスをとる「弥次郎兵衛」が実情であった。


 その後、年金問題郵政民営化などで党内外は紛糾する。
前原代表の就任で「小沢一郎の出番はない」といわれるようになった時、
件の「偽メール事件」が勃発した。


 急遽、小沢代表の登板と指導により、民主党は変貌し、
小沢─鳩山─菅のトロイカ体制が組まれ、
平成19年、「逆転の夏」と命名した参議院選挙を勝利し、政権交代への道筋を明らかにした。


 先を急ぐことから、この間の経緯は端折るが、小沢代表の「政治とカネ」の問題はこの歴史の中から出てきたものである。


 検察は、この約1年間、10億円を超える費用と多大な人員を駆使した西松事件の捜査小沢本人を起訴するには至らなかった
要するに、事件的要素はなかったのである。


 問題となっている検察審査会への告発も、
受理することが疑問視される人からのものであるといわれているし、
小沢一郎を政界から排除することで既得権を維持しようとするのは、

  • 旧体制官僚や
  • 巨大メディアだけではないことは、
  • 民主党政権の閣僚たち>が、

小沢一郎の代表選出馬を阻止すべく、
珍言暴言を繰り出していることからも明かであろう。
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