人種差別のアメリカと批判の指を指せない日本人

アメリカは奴隷を作り、人種差別をしてきた。これは事実。
そして今、黒人の大統領が生まれようとしている。
こうなるには沢山の黒人の命の土台がある。これではいけないと立ち上がったたくさんの差別してきた側の白人もいる。

まだ、アメリカには差別があるぞ、あるぞ、という意見を言う人もいる。
これも事実だが、そういう中には「黒人かわいそう、白人の本音には差別感があるのだ」・・という単純図式の認識しかしてない人もけっこういるように思われる。
改善された部分や、他人種を受け入れる人々の努力には無頓着な考えが目につくのは私だけだろうか?


アメリカは多民族国家だから、黒人対白人という問題以外に、アメリカン・インディアン、アジア人、中南米人、中東の人などなど複雑な部分がある。 これらの人々は必ずしも差別される側だけではなく、彼等もまた別人種を差別する側にもなっている面もある。各カテゴリー内での摩擦もある。それぞれの種族すべて歴史がちがうように人種問題も違う。
人種差別=黒人対白人・・という図式。こういう狭い視野も含めて、いわゆる人の心にある「先入観」「決めつけ」こそ、人種差別を生み出す原因の一端になるのではないか?


黒人問題ひとつ取り上げてもたくさんの要素があるようだ。
これは「Don't Believe The Hype」に「黒人文化」というカテゴリーがあり、かなり深い視点から書かれて専門的であるが、そういうものを読んだり、歴史を読んだり、映画を見たり、友人と話したりしながらお勉強している。


こんなニュースを見つけた。もう古いものであるが・・・
──沖縄でおこなわれた教研全国集会でのこと、「平和と民族」分科会では、民族衣装に身を固めた北海道の少数民族ウイルタ(オロッコ)の北川源太郎ことダーヒンニェニ・ゲンダーヌさんの母国語による訴えが静かな波紋をひろげた。それは長年、民族差別の中で苦難の生活を過ごしてきたウイルタの人たちの自らの手で、民族の誇りと文化を守ろうとする自立の宣言であり、それは同時に日本を単一民族国家としてきた日本人の意識の変革を迫るものであった。(朝日新聞、1978年2月4日)


日本人としてなんとも言えない気持ちになった。
アメリカの人種差別に批判の指を指すことはできない。共に考えていかなければならない問題なのだ・・・と。
アメリカ人の友人にこのことを話した。彼女は(アメリカという)自分の国も差別を行なってきたわけだから、私のなんともいえない、こういう痛みをとても良く理解してくれた。
私たち一人一人が、心の中の差別感を少しでもすくなくしていこうねと二人で話し合った。