『いじめ』は人種差別の『心』と同じ(!?!)

テレビ番組で「本気で」というの「まじで」オンエアーされているのですか?

しろうと出演によるチャレンジ番組:池をとびとびにわたったりする日本のびっくりショーがアメリカでも流行って、それをまねした番組があります。
そこに出た人々がチームを組んで日本に招待されて「本気で」という番組に出演しました。その模様がこちらのテレビで放映されました。

こちらのは野外でアスレティックの能力がキーポイントになるスポーツ的なものですが、日本の「本気で」という番組はスタジオ内で、要は「人を笑い者にする目的」の番組のようでした。
アスレティックの能力を競うのとはぜんぜん違うのです。これがまず、出演者も戸惑った部分。
それでも賞金が高いから「虫のかっこう」させられようと、「お餅を手を使わず」たべさせられようと怒りもしないで真剣に取り組んでいるのがなにかかわいそうな感じで、胸がいたみました。
日本人にもほんとうにこういうことさせるのかな〜・・外国人だから何してもいいって企画されたのではないかと疑いたくなっちゃいました。


そして、負けたチームはその責任を自他共に認めた人が帰らなければなりません。泣きながら退場するのですが、その時ブルース・ブラザースの格好をしたたくさんの男が出てきて、帰される人を担いで退場します。
スタジオで見ている人々(主に若者)が「さよなら、さよなら」とお囃子と一緒にさけんで退場させるのです。
これって学校で行われている「いじめ」の一つのテクニックと同じじゃあないかな〜。
(出演者が外国人だからということで『いじめ=人種差別』と言っているのではありません。『人を笑い者にする目的』の企画自体に、そしてそれに迎合して実際に番組が作られていること自体に『いじめの実体が潜んでいる』と申し上げたいのです。)

こういうの見てると学校のいじめの構造がよくわかります。
司会者がアジテーターで、スタジオの視聴者を仲間にして、その裏の見えない所にディレクターがいて指示する。その又裏にプロジューサー・・・と。皆「いじめの達人」っていう感じでした。


この番組のクライアントもこんな番組によくお金をだしたと思います。テレビの番組を買うくらいだから社会的に責任をもつ大きな企業のはずですが、そういうところがこういう番組にお金を出すなんて信じられません。
しかもかなり大枚なお金がかかっているようです。


こんなにお金を使えるなら、社会に必要な義援金に使ったら・・って思います。それにこんな番組の企画に時間を使うならその時間を使って、もっと社会の問題に対処する企画を立てたら・・・・企業でないとできないことがあると思うのですが・・身体的に制限のある人々をたくさん好条件で雇うとか、Neetの人々とか、契約社員に就職の門戸を広く開くとか・・・企業の社会的責任をもっと考えていただきたいと思います。
そういうことにお金と時間を使ったほうがよっぽど、企業知名度と好感度は上がるとおもうのだけど・・・
この番組の広告主がわかったらその会社の製品は買いたくない。


公共のテレビ番組にまで「いじめ」の心が浸透しているなんて、「『いじめ』は学校だけでなく社会にも蔓延している」とおっしゃった日本の方々の言葉の意味がようやく少し分かったような気がします。


「いじめ」こそ差別そのものだと思うのですけど、彼等には差別意識も罪悪感もまったくないのでしょうね。


そういう種類の人々からアメリカを指して「アメリカの白人は、黒人に人種差別を(今現在も)している国だ」なんて言ってほしくありません。
人差し指を他に指す人は、残りの三本(中指、薬指、小指)は自分に向けられているっていう諺をもう一度思い出してほしいです。


はい、この記事で批判の指をさしましたが、諺を踏まえれば、差された残りの三本は自分に向けられていました。己もしかりと厳しく受け止めましょう。すみません。少しづつでも、心の中を更に変えていきたいと思います。