レバノンからの移民

今、レバノンはたいへんなことになっている。
この国は昔はフェニキア人が発祥したところだそうだ。
今はカトリックキリスト教徒とイスラム教徒、そしてユダヤ人が混ざってくらしている。
たくさんのキリスト教徒がアメリカには移民している。私の知っているレバノン人は車関係の仕事に従事している。
キリスト教徒だ。最初は知らずにてっきりイスラム教徒だとおもっていたが、テロが多く、兵隊にとられても危険きわまりないということでアメリカに逃げてきたという。それでも何年に一度はレバノンに帰っているようだ。


彼らはいたって家族思いでレバノン人の横のつながりも親密である。家人が中古のカー ディーラーの所へ足繁く通って知り合いになり、そこから買ったわけでもないのに、車の修理工場を紹介してくれて、そこでもたいへん良くしていただいている。カー ディーラーからの紹介だからと言っていた。かれらもレバノン人。従業員は皆レバノン人である。


私が自分の車を修理にだして、帰りの足にこまっていると、最近子供ができたばかりの若い従業員が家の近くまで送ってくれた。
赤ちゃんの話をすると急に顔がほころび、きれいな英語でいろいろと家族の話をしてくれた。
父親がまだレバノンに住んでいるが呼び寄せたい。でも父は生まれ故郷をはなれたがらず、休暇でしか来てくれない。母は亡くなってもういない。親戚は皆レバノンだそうだ。妻もレバノン人。レバノンに帰った時、結婚して呼び寄せたということだ。
レバノンはとてもいい所だけど、危険なこともあるので子供はアメリカで育てたいといっていた。


彼に限らずけっして政治的なことは話さないし、少し水をむけてもイスラム教徒の悪口はけっして言わない。徹底的に口が堅い。この口の堅さがどこからくるのか勉強不足でわからないのだが、危険に常に直面してきたのか、他宗教を持つ人々が共存するための鉄則なのか、心が大きいのか?


悪口をいったら殺される危険のない国では、違う意見によくもまあというほど、言いたい放題のことをいう。
視聴者参加の番組でイスラエルを批判する意見があり、それがまたユダヤ人であった。おおかたが今回のテロリストを支援するシリア、ヨルダンの姿勢を批判している最中にである。なかなか勇気のある発言であった。


そういう中で一番被害にあっているレバノンからの移民は固く口を閉ざしている。