ビートルズゆかりのハンブルグ!
写真:ビートルズの初期、ハンブルグにて
世界の大スターの道を選ばず、この写真の撮影者と恋におちたスチュアート・サットクリフ(中央)
Astrid Kirchherr撮影
ビートルズゆかりの地、ハンブルグはアメリカ人には、ドイツ第二の大都市で歴史的に意味ある港というイメージが強い。
この都市の名はモンゴル人が開き、後にきたロシア人が、ハン族の名をとってハンバーグとしたという説があるそうだ。
ハンブルグでもう一つ有名なのはビートルズ。まだ、ビートルズ初期の時代にハンブルグの「スター クラブ」で演奏をしていた。ここはとうの昔に焼けてしまって今はないが、その近辺のライブハウスで当時を偲ぶことはできる。ビートルズは20世紀の音楽に多大な足跡を残した。アメリカ人にとってもプレスリーとならんで最も重要なミュージシャンと位置づけされている。
1957年にジョン・レノンが幼なじみのピート・ショットンと"The Black Jacks"という名でバンドを組んだのがビートルズの始まりで、その後すぐ"The Quarry Men"と改名したが、近所でアメリカのロックンロールを演奏していた。その後ポール・マッカートニーが入り、1958年にはポールの高校時代の友人のジョージ・ハリソンが入る。リンゴ・スターはそれより後の時期になる。
ビートルズと命名した1960年、彼らはハンブルグに滞在して活動する。ドラムはピート・ベスト。それにバス・ボーカルにスチュアート・サットクリフがいた。彼はハンブルグでのビートルズを撮り続けた写真家、アストリッド・カーチャーと恋に落ちグループを去った。アストリッド、彼女こそビートルズの髪型をクリエートした人と言われている。スチュアート・サットクリフはビートルズが世界的スターの基礎作りをしている最中に一緒に活動したが、ビートルズがリバプールに戻る時、彼はアストリッドとの生活を選びハンブルグに残った。
ハンブルグのツアーの後一時バラバラになったが、1961年再びハンブルグにもどり、「トップテン」クラブなどで3ヶ月演奏する。
この間、プロジューサーのバート・キャンフェルトにレコード製作の話をもらって”ビート・ブラザース”という名前で"My Bonnie", "In the School Hall", "Cry for A Shadow" "Ain't She Sweet"のレコードを出して、リバプールに戻るのである。
ワールドカップで脚光を浴びたドイツ。サッカーより野球といわれるアメリカだが、中南米の移民の多いアメリカでは、やはりサッカーの人気も高い。加えて、ビートルズが形作られていく重要なエポックのハンブルグにも立ち寄れるとなれば、今年の夏はもしかしたらドイツ旅行が流行るかもしれない。(7/12 Foxニュースを参考にして)