ウッディー アレンの映画「メリンダ アンド メリンダ」

Mapple2005-10-31


今日の日記はラジオではなく、映画について書くことにした。ウッディー アレン脚本、監督のメリンダ アンド メリンダ(Melinda and Melinda) ロマンス コメディー 1 hr. 39 min./March 18th, 2005リリース/Fox Searchlight Pictures 配給、Starring: Chiwetel Ejiofor, Jonny Lee Miller, Radha Mitchell, Amanda Peet, Chloë Sevigny

写真: Fox Searchlight's Melinda and Melinda - 2005

マンハッタンのとあるしゃれたレストラン。4人の男女がひとつのシチュエーションから話がどう展開されていくかを話し合っている。一人はこれは悲劇になると。もう一人は喜劇だと。
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話は一人の女性メリンダがあるホーム パーティーに飛び込んでくるところから始まる。悲劇の配役と喜劇の配役は違う。同じ役者はメリンダだけ。いかにもウッディー アレンらしい軽妙な会話の積み重ねで二つの物語は交互に進められていく。マンハッタンの街のたたずまい、インテリア、衣装、すべてが洗練され、ニューヨークの魅力たっぷりな背景に自由でソフィスティケートされた恋が展開されていく。それはやさしく、そして意図なく残酷に傷付け合う大人の恋だ。
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マンハッタンを舞台にした映画を見るたびに、ニューヨークに住んでみたくなる。カリフォルニアと比べるとやはり大都会である。カリフォルニアの人も洗練された人はもちろんいるし、ナパを始めとしてワイナリーも多く、食事もかなり頑張っておいしいものを食べさせる。都会でないとは言えないのだが、なぜかどうしても健康的で大都会の湿り気はない。カーテンのひだがまだまだフラットというか、その点ニューヨークはかなりひだが深いように思える。
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演劇、芸術、音楽、すべての面でニューヨークは世界一を目指す人間が集まる。ニューヨーク在住の芸術関係の友人が言っていた。「ニューヨークは100点か、0点なのだ。それでも、ビリでもいいから最後の尻尾を捕まえて後を追っていたい。それがニューヨークの魅力だ。」と。
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凡庸な人間にはそういうことはわからないしニューヨークのほんとうの魅力の引力圏外にいるわけだが、それでもニューヨークには引き付けられる。特にウッディー アレンの映画を見た後などはミーハー丸出しだが、街を散策してみたいと思う。才能豊かなな人々が集まる街を歩き、サーモンとクリームチーズのベーグルで朝食をとってみたい。数々の映画の舞台となった場所を歩いてみたい。
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ニューヨークに住むに価する才能はなくても、自由の女神の像を見て夢ふくらませた数え切れない移民の先祖たちの姿を想像することはできる。大恐慌で株券がただの紙きれになり、株の紙ふぶきが舞う中、ビルの窓から次々と飛び降りた人々に祈りを運ぶことはできる。
「犬とユダヤ人はお断り」とプールの入り口に札を張られ、涙をのんだユダヤ人がやがて、ニューヨークの金融界の王者となっていったことを偲ぶことはできる。貧困に喘ぐ黒人の街ハーレムが現代のファッションのメッカになり、たくさんの芸術家を生み出した過程を噛みしめることはできる。
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どこの大都会もそうだが、そこには腐る寸前の一番美味な文化が花開いており、人をひきつけるとともに、いとも簡単に人を傷つける。
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翻ってカリフォルニアは、特にベイエリアは温かさを残す街だと思う。皆が傷つけ合うことを恐れ、ハイカーがすれ違った人に声をかけるように、目があうと笑顔や一言をかけあう。誰も一言以上の会話を期待などしていないがそれでもそうする。やっぱり都会のようでも田舎なんだなぁ。人間が住む所なんだなぁと思う。100点でなくても80点でも50点でもそれなりに身をかがめなくても生きていける。もしニューヨークに住んでみたら、このベイエリアをさぞなつかしく思うのだろう、きっと。