われわれの先祖は、貧しくても礼儀正しく、気品に満ち、毅然とした世界有数の文化人だった。

内憂外患 2011年01月04日
「小沢で明け、小沢で暮れる去年今年」 読み人しらず 二見伸明
http://opinion.infoseek.co.jp/article/1150

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「法の支配」か「世論の支配」か
(略)
年末の28日、小沢一郎三権分立基本的人権の尊重という憲法上の原理原則《注:法の支配》を棚上げしても「国会の審議が円滑に進められるのであれば、通常国会冒頭に政倫審に出席する」と発言した。
これは、国会審議の最大の障害物であるだけでなく、菅という操り人形を使って政権交代の理念「国民の生活が第一」を投げ捨てようとする仙谷官房長官の更迭を要求した剛速球でもある。
(中略)
小沢が投じた剛速球は、本人が意識していたかどうかは分からないが、マスコミや菅の、「世論」は絶対であり、憲法の精神を無視しても「世論」に従うべきであるという世論の支配」は「の支配」を否定する反民主的な考えであることを白日の下に曝け出したのである。


 小沢の政治資金について、NHKの2010年2月の世論調査では「『国民』に説明責任を果たしていると思うか、どうか」と質問したが、3月以降の調査では「国民」ではなく「『国会』の場で説明する必要があるか、どうか」と巧妙に説問を変えた。
小沢は東京地検から事情聴取された1月23日夜の記者会見で 300人を超す報道陣に丁寧に説明し、その後も毎週月曜日の定例記者会見で全ての質問に答えた。


 彼は国民の知る権利に応え、国民への説明責任を果たしていたのだ。報道しなかったのはNHK
NHK、自らが果たさなければならない説明責任を放棄したのだ。
そのことに忸怩たる思いがあってか「国民に説明責任云々」とは質問できず、「国会の場で説明云々」と説問を変えたのだろう。


 マスコミの調査も4月以降、「国民」を「国会」に変えた。マスコミは不承不承、小沢が「国民に説明責任を果たしている」ことを認めざるを得なかったのである。
にもかかわらず、彼らは自分たちの不始末を全く公表しなかったし、そのことで、あらぬ誤解をされた小沢に一片の謝罪もしなかった。(中略)


質実剛健で気品に満ちた国を作ろう


 ワシントンで批准書交換を済ませた新見豊前守正興を正使とする日本最初の遣米使節は、1860年6月16日、ニューヨークのユニオン公園での閲兵式に臨んだ。数万の群衆に交じって一行の行列を見たホイットマンは、未開の野蛮国から来た日本人の、礼儀正しく、気品に満ち、毅然とした姿に感嘆して、詩『ブロードウェーの行列』を書いた。


《西方の海を越えて、こちらへ、日本から渡来した、謙譲にして、色浅黒く、腰に両刀を手挟んだ使節たちは、頭あらわに、落ち着き払って、無蓋の四輪馬車のなかに反り返り、今日この日、マンハッタンの大路を乗りゆく。


(略)


「創造の女性」がやって来たのである。
言語の巣窟、詩歌を伝えた人びと、古往の民族、
血色鮮やかに、考え深そうな、瞑想に耽り、情熱ゆたかに、
香気馥郁、寛袍ひらひらする衣装を着なして、
陽やけの相貌、白熱せる魂と炯炯たる眼光の持ち主、
波羅門の民族がやって来たのである。》
(略)


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 あえていうが、彼らだけが特別に洗練されていたわけではない。当時、来日した外国人も見聞録に記しているが、普通の日本人の姿でもあった。われわれの先祖は、たとえ貧しくても、礼儀正しく、思いやりがあり、気品に満ちた風格を作り上げていたのである。「未開の野蛮人」どころか、世界有数の文化人であり、文化国家だった。・・


 ひるがえって、尖閣諸島問題の責任を一検察官に押し付け、地方選の連戦連敗は小沢の責任だと言い、あまつさえ、政権交代の大功労者を追放しようとする菅総理は常軌を逸している。

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 民度を超える政治家はいないという。であるならば、志のある自立した個人が立ち上がり、民度を高めるしかない。2011年はそうした新しい一年にしたい。私の初夢である。 二見伸明


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精神とか心をどこかに放り出して[論理的思考力]ばかりを教える学校と、収入に重きを置く親に育てられた子どもが増えれば増えるほど[歌を忘れたカナリヤ]ならぬ心を亡くした[忙しい人]ばかりになってしまう。礼儀や、思いやりは時間の無駄。思いやりも、思いやりを受けるのも[うざい]、面倒で無駄なことはしたくないと考える。心にゆとりがないのだ。権威のある者にぺこぺこする卑屈な人は、権威のない人には傲慢。そんな人は同類の政治家を選ぶ。彼らには人々のためにとか、世のために、命や人生や心をかける人がいるなんて想像できない。きっと権力かお金のためにやっているに違いない、そんないいことをする人がいるはずがないと自分に言い聞かせないと納得できないのだ。残念ながら[思いやりがあり、気品に満ち、毅然とした文化人]からは程遠い。


[人の振り見て我が振り直せ。]......今年は先祖の日本人に少しでも近づけるように心をみがこうと思っている。(Mapple)