6/2日本公開『あるスキャンダルの覚え書き』について

2006年の作品で批評家賞かなにかを受賞したと思う。
原題"Notes on a Scandal"英国ベストセラー小説を映画化。

キャスティングが、ジュディ・デンチと、ケイト・ブランシェットなら、見逃せないと思ったが、なにか疲れそうな気がしてDVDになってから自宅で寝転んで見た。


ジュディ・デンチは誇り高い教育者の顔の裏にある孤独な独身の老女を演じる。どころがただのさびしい悲しい孤独な教育者ではない。そんなところでめそめそしている弱い老女ではない。狡猾に策略をめぐらせて強請り行為まで使って若い女性を"親友"にしていく役どころ。


ケイト・ブランシェットは美術の先生。やさしい夫と、子供までいて何の不自由もないはずだが、心に空白がある。
ジュディ・デンチはそんな彼女に少しづつ近づき、ある日、15才の少年と関係を持っていることを知る。


レズなのかどうなのかは問題ではないだろう。「孤独」に向かい合った時どうしていくか・・・という問題なのではないか。
自分が持っているものと、自分が求めるものが違った場合や、求めるものが何だか分からない場合には、どんなに恵まれた環境にあっても、本人は孤独と感じることがある。


そんな時ある人々は孤独と慣れ親しもうとする。またある人々は、孤独の中から一人でできるものを捜して楽しもうと努力する。
この映画の二人は、何とかしてその孤独を埋めようとする。


美術の先生はいい加減な15才の少年に・・・。孤独からの開放を、秘密に且つ大胆に選んだ。
そして老女の先生は弱点を掴んだ既婚の女性に・・・。お金に困っているわけではない。小さくても気に入った住まいもある。問題は自分の孤独だけだ。その解消を貪欲に求めて行く。


どちらも強い。立ち止ることをしないのだ。
でも、孤独を埋めるすべてを人間に求めた時、悲劇は起こり易い。
これは老若男女にかかわらず言えることかもしれない。


この映画と対照的だったのが、ピーター・オトゥール主演の「ヴィーナス」。彼もかつてはあれだけのハンサム役をしていたのに、老醜を画面にさらけ出しての演技。ジュディ・デンチもそうだが、彼も又、本物の役者だと思った。
「ヴィーナス」についてはまた別の項でふれてみたい。