鈴木宗男氏の収監の日に思うこと。 山崎行太郎


文藝評論家・山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』 2010-12-06
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20101206/1291563775


衆議院議員鈴木宗男氏が、とうとう収監される日がやってきた。小泉政権時代、鈴木氏は、政治的謀略に巻き込まれ、そして同時に激しいメディアバッシングを受け、やがて「やまりん事件」という冤罪で逮捕され、裁判の結果、有罪が確定し、ついに収監の日となったわけだが、その間に、鈴木宗男氏を取り巻く状況に大きな変化があったことは、特筆されるべきであろう。


鈴木宗男氏も言うように、逮捕当時、鈴木宗男を擁護するものは、、ほぼ絶無であったと言っていい。むしろ誰もが、新聞やテレビ、雑誌、週刊誌など、様々なメディアが垂れ流す情報を鵜呑みにし、鈴木宗男という悪徳政治家が逮捕され、有罪になることを歓迎し、拍手喝采していたはずである。鈴木宗男バッシング情報が、政治的な謀略に基づくものであることを主張したり、分析したものは、私の知る限り、なかった。


しかし、今、つまり鈴木宗男氏が収監されようとしている現在、「鈴木宗男は冤罪だ……」「鈴木宗男は被害者だ……」という鈴木宗男擁護論は、ほぼ同時に逮捕された鈴木宗男氏の盟友、元外務省情報分析官・佐藤優氏らの活発な言論活動の影響もあってか、巷に溢れている。


まさに隔世の感があるわけだが、鈴木宗男逮捕の日から収監の日までの間に、日本で、いったい、何が起ったのか。実は、僕は、鈴木宗男逮捕事件が起った当時、「月刊自由」という雑誌にコラムを連載していたが、そこで、僕は、ほとんど問題にもされず、ほぼ黙殺されたけれども、鈴木宗男バッシングにも鈴木宗男逮捕にも反対し、抗議するコラムを、何回かにわたって書いていた。先見の明を誇りたいわけではないが、これは、僕の言論活動における忘れられない場面の一つである。


僕は、今、収監の日を迎えた鈴木宗男氏が、多くの支援と激励の声に包まれていることを書いている「ムネオ日記」(鈴木宗男ブログ)を読みながら、喜びと共に、少し複雑なものをも感じている。


その意味で、僕は、バッシングを受けようと受けまいと、獄に繋がれようと繋がれまいと、無位無冠になろうとなるまいと、有罪であろうと無罪であろうと、そんなことに関係なしに、終始一貫して鈴木宗男を支援し続けている松山千春佐藤優のような男が好きである。


僕は、鈴木宗男に対する、損得勘定抜きの、底知れない二人の「男の友情」に、思想的に感動せずにはおれない。思想の精髄というものがあるとすれば、そういうところにしかないと僕は確信する。(続)


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