「粛々」の管官房長官は、漢詩・川中島をご存じのはず。「粛々と」敵(沖縄県の日本国民)に気付かれず、音たてずひっそりと埋め立て工事を行うと言うわけだ。

川中島漢詩がすぐ思い浮かぶ言葉、「粛々と」をつかうということは「沖縄県の日本国民」を「敵」と見立たと思われてもしかたないはずだ。

「鞭声粛々」の意味は(注 1)
「相手に気付かれないように、静かに馬に鞭を打つ」
「粛々」はひっそりと行うこと。

漢詩川中島のなかでは、深い霧の中、敵を欺いて”千曲川雨宮の渡しを渡り兵を進める様子”を描く時に「粛々」は使われている。
夜、霧に隠れて、音も無く、敵を欺いて裏をかく作戦が「粛々と」すすめられた。

官房長官辺野古埋め立てを「夜、霧に隠れて、音も無く、敵(沖縄県の日本国民)を欺いて裏をかく作戦で「粛々と」埋め立てを行うとおっしゃったわけだ。これでどうして沖縄の人々の理解を得られようか。


翁長知事のコメントで、もうこの言葉は使わないということだが、表現された内容そのものを変えると言う事ではないだろう。言葉を変えただけで、欺いてやっちゃえという精神はかわらないのではないか?


安部政権はもう末期症状だ。
沖縄県の日本国民」を「敵」に見立てていると解釈されてもしかたない言葉を使って、まるめこもうなんて政治家として最低、言語道断。
「安部政権を支持する日本国民」は「沖縄県の日本国民」をどう思っているのか知りたい。
こんなことが続くなら、「安部政権に反対する日本国民」は、辺野古の問題を、沖縄県アメリカと直に交渉しても、もう反対しないと思う。

(注 1)
「鞭声粛々」の意味
四字熟語辞典オンライン  http://yoji.go-kanken.com/yojif/2744.html


「鞭声粛々」の読み方
読み方 べんせいしゅくしゅく


意味 相手に気付かれないように、静かに馬に鞭を打つ様子。
「粛々」はひっそりと行うこと。
上杉謙信の軍勢が武田信玄の機先を制するために、夜のうちに妻女山を下って、千曲川を相手に気付かれないように渡ったという故事を頼山陽が詠んだもの。
出典 頼山陽「題不識庵撃山図」

MZ second  
FILE №33【鞭声粛々】
http://officehiro.net/mz-2/no33.htm


べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる
鞭声粛々 夜河を渡る

川中島の合戦で一番激しかったと言われる4回目の激戦「八幡原の戦い」
武田軍がとった[啄木鳥の戦法]を上杉軍が察知
濃い霧の中はち合わせた両軍は、戦国史上他に例が無いと言われる程の
激戦いを行った
千曲川雨宮の渡しを渡り兵を進める様子をうたったのが「鞭声粛々 夜河を渡る」
信玄は謙信の後ろに兵を回し追い出した所を川中島で挟み撃ちにしようとした
察した謙信は深夜2時過ぎかがり火を炊き、少数の兵を残してあたかもまだそこに
陣があるように見せかけ兵を動かした。
濃い霧の為どちらの軍も互いの所在が分からないまま突然混戦となった
双方入り乱れるなか、謙信は単身馬で信玄の本陣に乗り込み三太刀切りつけたが
信玄はこれを軍配で受け止めたと言われている
この戦いでの死者総勢1万6千とも3万とも言われている

以下略
続きは、、、

公益社団法人 関西吟詩文化協会


漢詩 川中島 


鞭聲肅肅夜河を過るーーーーー


作者、全文は下記のホームページをご参照ください。
http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_A11_2.html


このホームページに掲載の文章・画像・音源等の無断転載はご遠慮下さい。
公益社団法人 関西吟詩文化協会
お問い合わせ:info@kangin.or.jp