ハリウッド版、映画ゴジラを見て、反原子力の主張は最初のゴジラと比べて薄められているような気が、、、

メモリアルー デーの月曜日、「ゴジラ」を見てきました。

眼鏡をかけて3Dで。3Dでないとね。
感想は、、、、面白かったです。
映像はすごいです。特に3Dだし、見せ場がたくさん有りました。
渡辺謙が地味なのに存在感があり、控えめなのに主張がはっきりしていてとっても良かったです。
日本男児の特徴が的確に引き出されていたのではないでしょうか。


日本の雀路羅(じゃんじら)市にある原子力発電所。この町は架空の町のようで、バックに富士山があり、静岡のような高層ビルのあるけっこう大きな街ですが、原発地震で半壊して15年、今は誰も住んでいないゴーストタウン。警察か、自衛隊の管理下にあります。
でも、もう放射能はなくなっていた。。。。。これって、ほんまかいなーー。15年でなくなるなんて。。。
使用済核燃料を収納している所は、ネバダ州のユッカマウンテン処分場。
メスのムートーが羽化する。ムートーは処分場から逃げ出しラスベガスを破壊。
ゴジラvsメカゴジラ』のラドンを彷彿とさせる「ムートー」が大きな割合を占めた。
ラドンは、アドノア島のプテラノドンが島に投棄された使用済核燃料の放射性物質で変異した怪獣で、「ムートー」も使用済核燃料の放射性物質をエネルギー源とする。)
セリザワ博士(渡辺謙)は、二体のムートーは繁殖のため同じ場所を目指していると断定する。ゴジラの後を追う米海軍はサンフランシスコ湾で三怪獣が衝突すると推測する。 海軍指揮官のステンズ提督は三体の怪獣殲滅のため核兵器の使用を許可するも、セリザワ博士はそれに断固反対する。「市民を守るために仕方のないことだ」と語るステンズ提督に対し、セリザワ博士はあるものを見せる。それは、セリザワ博士の父が持っていた懐中時計だった。その針は8時15分、すなわちヒロシマへの原爆投下の瞬間を指したまま止まっていた。
wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゴジラ_(2014年の映画)


原発地震で半壊して15年で、もう放射能はなくなっていた。
ビキニの原爆実験はゴジラを退治することがほんとうの目的でそれを隠していた。
原発が半壊したのは「ムートー」のせいで、それはニュースにならないように極秘にされた。


なるほど、アメリカは正しいことをしていたんだ。結局こういうことなのでしょうか?
またか、アメリカは正しかったんだ。原発は良かったんだ!?って。。。。
ったく反省ってしないんですね。原子力ムラのあの人たちって。
原発ムラは日本だけでなくアメリカは本家本元、がっつり世論をコントロールしようとしてる。
日本の原発が半壊してしまったのは、怪獣のせいだった。不可抗力だ。
そして、15年たったら、もう放射能の危険はなくなったのに、「ムートー」のことを隠すために放射能の危険がなくなったことをも隠し続けて、立ち入り禁止にしている。ほんとうは安全なのに。
アメリカのビキニの核実験は軍事問題ではなく、核実験といつわって、ほんとうは、怪獣ゴジラから人々をまもるために、ゴジラの退治をしていたのだ。こういうことを未だに隠している。


言い換えると、
人を殺す核爆弾の開発のために核実験なんてほんとうはしてなかった。皆、人々のためだった。。。
原発は15年もすれば放射能の危険はなくなる。。。。。。
アメリカはこんなにいいことをしていたわけだ。それなのに隠している。
アサンジもウィキリークスで公開しない!?!?!?!?

これって、フェイクだぁーーーーうそだぁーーーー。
巧みに、真相隠しを逆手にとってひっくり返しの言い訳に思えてきます。
私の視点がひねくれているのかもしれません。



こういう意味で最初のゴジラのテーマを追っているようで、実はひっくり返しの追っかけのよう。。
ラドンのようなものも出て来るし、ネバダ州のユッカマウンテン処分場みたいな場所も出てくるし、
ハワイに津波、見覚えのあるサンフランシスコやベイエリアもでてきました。
核弾頭を取り返すため市街地上空から*HALOジャンプで巣の近くへ降下するシーンは圧巻でした。
*HALO降下(視認外である高高度(10,000m程度)を飛ぶ航空機から飛び降り、自由落下して低高度(300m以下)でパラシュートを開き敵地に降下・潜入する方法である。)


エキサイティングな映像は一見の価値あるが、台本がイマイチ。よくまとまっているけど、心に深く残る台詞はありませんでした。(英語の能力が足りないからということもあるのですが。。。。)
原発反対の主張は弱かったです。
結論は最初のゴジラを超すことはできなかったと思います。


伊福部昭 - ゴジラ (1954)
作曲家伊福部昭による劇中音楽も評価が高く、特にメインテーマは後の「平成ゴジラシリーズ」にも受け継がれている。


1954年 ゴジラシリーズ第1作
ゴジラ』は1954年に、東宝が製作・公開した日本映画。



海底に潜んでいた太古の怪獣が水爆実験により目を覚まし、日本の首都・東京を襲撃する。
東京は焦土と化し、ゴジラのまき散らした放射能は罪のない児童にも及んでいた。
生物学者の山根博士はその巨大生物を「ゴジラ」と呼称し、トリロバイトと残留放射能ストロンチウム90を根拠に「200万年前のジュラ紀に生息し、海底の洞窟に潜んでいた太古の生物が、水爆実験の影響で安住の地を追われ、出現したのではないか」とする見解を国会での公聴会で報告。
この事態に国際問題を考慮し公表回避を主張する与党と、事実の公表を主張する野党とで国会は紛糾。


山根らの報告を受けた政府はゴジラに対し、大戸島西方沖の海上フリゲート艦による爆雷攻撃を実施。これを報じるテレビに、山根は古生物学者という立場上、太古の生物の生き残りであるゴジラを抹殺しようとする政府の方針に心を痛める。


一方水中の酸素を一瞬にして破壊し、あらゆる生物を死滅させ溶解する「オキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊剤)」が芹沢博士の研究所で開発されていた。
「オキシジェン・デストロイヤーは恐ろしい兵器になり得る。これを公表すれば第三の兵器として軍事利用されるかも知れない」と芹沢は頑として受け入れないが、ついに一度だけの使用に限ってこれに応じるのだった。
東京湾に潜った芹沢はオキシジェン・デストロイヤーの装置を作動させ、ゴジラを殺すが、オキシジェン・デストロイヤーの悪用を恐れ、自ら命綱を断った。


行方を見守っていた人々がゴジラを倒した喜びや芹沢の死の悲しみに騒然となる中、山根は「あのゴジラが最後の一匹とは思えない…。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかに現れてくるかもしれない…。とつぶやくのだった。


演出の本多猪四郎ゴジラ制作に当たり、田中、円谷と3人で「撮影に当たり(中略)原爆の驚怖(原文ママ)に対する憎しみと驚きの目で造っていこう、現に目の前に原水爆実験で蘇生した、とてつもない怪獣が日本へ、東京へ現れたらどうするか、その現実感の狙いを忘れないで撮影しようと固く申し合わせた」と著している。
本多はまた、「一番の被害者はいつも民衆である。この映画の原イメージは、自らの戦争体験である 」と述べている。
こうして本多は一貫して「真正面から戦争、核兵器の怖ろしさ、愚かさを訴える」というドキュメントタッチの演出姿勢を貫き、
当作品に単に時勢に乗って作られた怪獣映画に終わらせない普遍性を持たせていて、
第五福竜丸の被曝事件のみならず、
菅井きん演じる女性議員や戦災遺族・孤児、疎開
本作の2年前に警察予備隊から再編成された自衛隊の登場など、
随所に当時の時代背景を象徴するファクトを織り込んでいる。


当時の政界では造船疑獄、犬養健法務大臣の指揮権発動などもあり、吉田茂内閣や政治への不信感が国民の間に高まっていた時期であった。そのような時代背景か、(中略)ゴジラが国会議事堂を破壊したシーンでは観客が立ち上がって拍手をしたという。


光学合成で焼きこまれた、ゴジラの光る背びれや口から吐く「白熱光」、これによって高圧送電線の鉄塔がぐにゃぐにゃに溶け落ちるシーンは、海外でも大評判となった。本多によると、とくにこの白熱光を見たアメリカのバイヤーは「素晴らしいリアリズムだ」と絶賛し、すぐさま売買契約を申し込んできたという。


この「海外版ゴジラ」は全米のみならず、世界50カ国で上映されて人気を呼び、400億円もの外貨を得ると共に、怪獣「ゴジラ」の名を世界に轟かせた。
スティーヴン・スピルバーグも少年時代に本作を観て「どうして怪獣をあんなに滑らかに動かせるんだろう」と衝撃を受けたという。


ただし、当時の時代背景に配慮したためか、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされている。


アメリカで正式な完全版の『ゴジラ』が上映されたのは2005年になってようやくのことであり、今更ながらそのテーマ性と完成度の高さが同地で絶賛されている。
wikipediaより   
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゴジラ_(1954年の映画)