再起不能の日本に希望は全くないのだろうか? ある!!


何度チャンスがあっても原発村にいつもやられっぱなしで、どうしたら日本人の命と安全を守れるか、もうわからなくなってしまったという人もいる。
日本人の人口が3分の1になるまで日本人は気がつけないという人もいる。人口が3分の1になったら始めて、日本人は「原発0」に立ち上がるだろう、という人もいる。
そんな気もするが、そうなってから立ち上がって間にあうのだろうか?
もっと早くなんとかする方法はないのか?
今回の都知事選で気づいた。民衆も政治家の欠点を探してお重箱の隅をつつくように、この人も、あの人もとつぶしていたら、「そして誰もいなくなった」ということになってしまう。
大きく捉えて、政治家の長所を探して、そこを引き出してあげないとこれからはいけないと思う。70才すぎて、「もう年だ」ではなく、「70才すぎたから知恵はある」と捉えたほうがいい。


元金融機関勤務の半澤健市(はんざわけんいち)は希望はあると言う。
「情けないが「外圧」に安倍レジームを征伐してもらう...」のがひとつ。
「「即時原発ゼロ法案」の一点に絞り統一戦線を組んで国会の内外で戦う」のがもう一つの案。
可能性のあることは何でもトライしたほうがいいと思う。もう我々は失うものはなにもないのだから。

ちきゅう座  014年 2月 11日
「カネ・モノ・ヒト」からの脱出へ ―都知事選に構造変化の予兆をみる―
<半澤健市(はんざわけんいち):元金融機関勤務>
http://chikyuza.net/archives/42480

(略)

《希望は全くないのだろうか》
希望はないのか。他力本願と自力本願の二方面作戦で希望がないこともない。


第一には、残念ながら他力本願。安倍の新国家主義は、国内の「反革命」だけでなく、国際的には「ポツダム体制」への反逆である。「ポツダム体制」も欺瞞の構造ではあるが、安倍のブレインたち─籾井・百田・長谷川ら─の異様な発言を聞くと、彼らは本気で「第二次世界大戦」の「大義」─「デモクラシー陣営」による「ファシズム体制の殲滅」─に挑戦しようとしている。デモクラシー陣営は、その挑戦を許さぬであろう。情けないが「外圧」に安倍レジームを征伐してもらうのである。


第二に自力本願。細川・宇都宮が共闘すれば舛添に勝利する可能性があった。これこそ夢物語にみえる。ネオコンの小泉、リベラルの細川、社民主義の宇都宮をくっつける。過日、岩垂氏が論じた「人民戦線」である。できるわけはない。人はそう思うであろう。


《「即時原発ゼロ法案」による共闘を》
しかしである。原発事故が文明の転換を迫っている。本気でそう思うなら、その「戦線」は可能である。むしろ人々全部の責任というべきである。小泉純一郎が、河野太郎や小泉新次郎を従えて、社共と提携できるか。一方で、志位和夫の率いる「教条論」者が、非正規労働者の山を築いた小泉純一郎と手を結べるか。これが問題の核心である。


「即時原発ゼロ法案」の一点に絞り統一戦線を組んで国会の内外で戦うのである。
細川・小泉の行動が線香花火だったかどうかは見極める必要はある。「脱原発」をテコにした保守政権の長期的再編への展望がなければならない。
話が飛躍しているという読者は、情況を甘く見ない方がいい。
それができなくてはこの国は再起不能である。私は願望を含めて2014年が構造変化の始まりの年になる予感をもっている。

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