最悪の事態を頭において心構えを持って対応しなきゃ、危ないよと言われた後藤田氏の遺志を持っている政治家はもうどこにもいないのだろうか?
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(動画をご覧ください)
【伊豆大島三原山大噴火】 後藤田正晴の危機管理
1986年11月21日、伊豆大島、三原山大噴火
そして溶岩流が島で一番人口の多い元町に向かって流れ始めた。島民や観光客1万人が命の危険にさらされた。
後藤田官房長官はここで全員を島の外に退避させなければと決断した。
「これは危険だ。
空振りになるかもしれないが、万全の対応をとてほしい。
責任は俺が取る。」
即断即決、全島民避難に動き出した。
しかし、霞ヶ関は鈍かった。
「もう少し様子を見た方がいいのではないか。」
「船の準備が間に合わない。」
「そんなの無理だよ」
「今日中にどうやってやるんですか?」
後藤田官房長官は「水蒸気爆発のこわさをしっているのか?」と。
最悪の事態を想定して動いていた。
国土庁では19省庁集めて会議ばっかり。なにも出てこない。
後藤田官房長官は「そんなことしていると1万3千人の人命が危ない。
よし! 内閣でやろう」
”後藤田、官邸入り”を聞いて各省庁の局長らが一気に集結。
後藤田官房長官は「キミ、頼むよ。責任は俺がとるから」と。
午後10時50分
『全島民避難」発令既に手をうっていた後藤田官房長官。
自衛隊などの艦船が続々と集結。
民間客船なども はやいうちから動き始め
消防、警察など、官民一体となって救出活動が始まった。
後藤田長官は「住民の安全を最優先」「人命を最優先」と指示する。
当時の植村大島町長は「その時、後藤田さんは自衛艦とか、海保の船をたくさんよこしてくれた。
精神的に軍艦が前に3つも4つも待機しているというのはほんとうに心強い。
翌朝11月22日早朝、1万人を超える全島避難が完了した。
後藤田氏 談
人為的、自然発生
その被害を最小限にとどめるためにはどうするか?
というのが危機管理だけど、
私はいかなる場合においても、
最悪の事態を頭において心構えを持って対応しなきゃ、危ないよと私は考える。