日本のテレビ


いつもより長く日本(東京)に滞在して気が付いたこと。

テレビの感動したところ:

日本各地の名もない市井の人々を取り上げたドキュメンタリー番組が充実している。


* 九州で派遣切りにあった若者をサポートするおばあちゃんの話。
食料品店とアパートを持つおばあちゃんが派遣切りにあった若者の悩みを聞き、自分の手料理を食べさせ、お世話をしていらっしゃる。若者達は「第二の母」と慕いとても感謝している。そんな中、彼らはおばあちゃんの支えのもと新しい職場を見つけて巣立っていく過程を長期にわたって取材していた。


* 北海道の夕張に生キャラメルの製作場とお店ができた。
有名な「花畑牧場」で成功した元タレントが、不遇なタレント時代に始めて仕事をした場所が夕張で、お返しがしたいという熱意から「花畑牧場」の製作場とお店を夕張に作った。地域活性化夕張メロンを材料に加えるためだ。お菓子の製作と梱包の従業員は地元のシニアー センターから人材募集をして多くのシニアーを雇った。中には80歳を越えた人も混ざっている。すばらしいことだ。また全国から人材を募集して地元以外の従業員の住まいに、空いた公共住宅を安く買って改築した。たくさんの観光客が訪れ夕張に活力を与えている。


政府より民間の人々が先に立ち上がっている。
高度成長で置き忘れられてきた温かさが回復してきているのを感じられた。


こんな時、民主党の代表選挙のニュースが流れ、政治家は大衆の動きに必死になってついていこうとしている姿が浮き彫りになった。

それでも未だ旧態依然と策略をめぐらせてばかりいる政治家もたくさんいるようだ。
そして評論家はその策略を解き明かすだけ。視点が見えてこない。
「小沢はもし鳩山が代表になったら恩の字で、岡田が代表になったら他党と合体ともくろんでいた」という解説は「あ〜そうだったか」とは思ったものの、もう疲れてうんざりだ。


鳩山と岡田の二つの顔には若さがあった。この二人が並んで出るとスタイルも顔も新しい世代の政治家に見える。
それに引き換え、小沢は(すごい政治家だそうだけど、やはり昔の政治家のすごさで今の若者の心をつかむすごさではないと思う。小沢ファンにはもうしわけないけど彼は『スター・ウォーズ』のジャバ(非ヒューマノイド人種ハットに属する、カエルのような上半身に太り過ぎたヘビのような下半身という姿の巨漢)と似ているようでならない。目つきが爬虫類的なのだ。Sorry!


鳩山のスピーチにはアメリカの政治家のスピーチと似た明快なトーンがあった。具体的な市井の人(マッケーンのスピーチの中のプラマー ジョーのような人)の例をだして、こういう人がこういうことを言ったとか、具体例をだして、だから今こうしたい、#1、#2、#3と。そして最後全体のキャッチでスピーチをしめた。「友愛」とかなんとか。これはケネディーの「国が何をしてくれるかではなく、国のために何ができるか」とか、オバマの「何色のアメリカではなく、United State Of America だ」等の名キャッチではなかったのは残念だったが。


岡田も同じようなパターン。明快だった。ディベートの場を使って二人で民主党全部の主張を国民に伝えるという戦略だったようだ。「出来レース」と言う人が多いが、私は民主党がどこをめざしているのかが分かってよかったと思う。霞ヶ関から地方に権限を移譲する、これがほんとうにできたらいいと思っている。そしてアメリカの古女房のように何も言わずに亭主の好きな料理を食卓にならべるような外交はもういやだ。
今の与党は口だけでは言うけどする気はなさそうだから、この2点、民主党には頑張ってもらいたい。


自民党は「鳩山が代表になって小沢が陰であやつる」というコメントばかりしている。そうかどうかは別にして、全員が同じコメントでは、国民にそう信じさせるプロパガンダの発言に思えてくる。麻生首相は立場上「意にかいしてない」ところをみせたのだろうけど、「他党のことは私には関係ありません」って、ずいぶんせまい根性だな〜。教育レベルの高い日本の人々を馬鹿にしている。
「鳩山君おめでとう。これから日本のためにお互いに切磋琢磨して戦っていこう」くらい言えないものなのか? あの懐の浅いヒラリーだって言えるんだから。 


鳩山と岡田の長所をまず冷静に述べて、後に彼らの政索の短所を述べたのは与謝野だけだった。彼は人間的にバランスのとれた立派な人だと思った。


テレビのがっかりしたしたところ:

それよりなにより、ニュースはどのチャンネルも同じことばかり一日中流れていた。

ということは視点も画像も各局皆同じ。テレビ会社も中央の政治ニュースの担当者ばかりに脚光を浴びさせて、出世させるから彼らもミスのないよう保身ばかりが先に立って、視聴率があがりそうな紋きり型の質問をして、目先に捕らわれたことばかりを追っかけざるえないのかもしれない。(これはちょっとひねくれた想像だが)
こんなことをしていたら彼らはもうジャーナリストではなくなってしまう。決められた質問だけさせられて、決められた場面のカメラとマイクのスイッチを押させられて。気の毒だ。
テレビ局は大胆な内部構造改革をしていかないと今に視聴者から見放され、そのうち自滅してしまう。 


日本はこうあってほしい、こういうことではダメになるというやむにやまれぬ思いでドキュメンタリーを作っている人々こそほんとうのジャーナリストだと思った。