バラク・オバマ陣営の事実上の最高顧問


ラジオでこの名前が耳に入ってきた。「ブレジンスキー」。
あの「ひよわな花・日本」の著者として日本では有名になった人だが、その人がオバマのアドバイザー・・・というか「顧問」という話。

そう、下記のブログにもすでにあったし------。
Don't Believe The Hype
オバマ大統領を知るポイントにもなるので、ウィキペディアで少し詳しくかいてあることを抜粋して記録しておくことにした。


"2007年"に既にブレジンスキーはこんなことをまとめて本にしている。
『ブッシュが壊したアメリカ――2008年民主党大統領誕生でアメリカは巻き返す』 峯村利哉訳(徳間書店, )


出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』



ズビグネフ・ブレジンスキー


ワルシャワ生まれ。ポーランド出身の政治学者、戦略家。カーター政権時の国家安全保障担当大統領補佐官


典型的なタカ派ではあるが、いわゆるネオコンとは連絡を取り合いながらも一線を画している。2008年アメリカ合衆国大統領選挙においては民主党候補バラク・オバマ上院議員陣営の事実上の最高顧問であるとされ、現代アメリカ政治に隠然たる力を及ぼしている大物中の大物である。


外交官であった父タデウシュ・ブジェジンスキは1931年から1935年までドイツのベルリンに赴任。
その後タデウシュは一家を連れて1936年から1937年までモスクワに赴任。


首都モスクワに赴任、ズビグニェフ少年はナチスの台頭するドイツに続いて
スターリンによる大粛清の嵐が吹き荒れていたソヴィエト連邦の恐怖政治をも目撃する。


そして父タデウシュは1938年にカナダへ赴任することになり一家はカナダに移住、1939年にナチス・ドイツポーランドに侵攻したため、一家はポーランドに帰国できなくなった。第二次世界大戦後も共産主義者によって祖国ポーランドが支配されたため帰国が実現することはなかった。


マギル大学卒業後、1953年にハーバード大学より博士号取得。コロンビア大学教授(1960年〜1989年)として、民主党のアドバイザーなど実務面でも行動力を発揮し、共和党系で同様の経歴を持つヘンリー・キッシンジャーと並び称されることが多い。


1976年の大統領選挙においてカーターの外交政策アドバイザーを務め、カーター政権発足後に大統領補佐官(国家安全保障担当)に就任。ハト派の多い民主党の中では異色のタカ派


ソ連による支配に対抗したポーランドの独立自主管理労働組合「連帯」を積極的に支持し、故郷ポーランドの出身である当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世とも密に連絡を取り合っていたため、1989年に起こった東欧革命の最大の黒幕とされる。


2008年アメリカ合衆国大統領選挙においては民主党候補バラク・オバマ上院議員陣営の事実上の最高顧問であるとされ、現代アメリカ政治に隠然たる力を及ぼしている大物中の大物である。


著書

* 『ソヴェト全体主義と粛清』(時事通信社, 1957年)

* 『ひよわな花・日本―日本大国論批判(サイマル出版会, 1972年)

* 『ブッシュが壊したアメリカ―2008年民主党大統領誕生でアメリ カは巻き返す』峯村利哉訳(徳間書店, "2007年")


『ウィキペディア(Wikipedia)』