人間の大きさ


古い友人のご主人が他界されたことを最近知った。
彼は、私が崖っプチに立っていた時期、新しい出発をする際一番力になってくださった方である。


そしておりに付け「人間の大きさ」について考える時必ず私の頭の中に彼の人間性が蘇ってきたものだ。
彼は人を概略で掴む。人として一番大切なものをぎゅっと掴んでそれ以外は不問に帰す。情に左右されない。


彼の驚くような判断力。それは心を基盤とした判断力なのだが、そこに、いわゆる「情」は感じられない。だが「なさけ」がある。
アメリカで教育を受け、ヨーロッパと日本を舞台に仕事を展開された方だが、やはりこういう人材は日本の土壌からしか輩出しないような気がする。どうしても「日本男子」なのだ。
こういう人材が逝ってしまうのはたいへん残念だし、日本の損失ではあるが、彼の後を継ぐ「日本男子」は消えるはずはないと今回強く思った。 彼のご子息にその灯火は確実に継承されているようだ。


また、そういう「日本男子」を裏から支えた「夫人」である私の友人も卓越した人材だと思っている。夫人もアメリカで教育を受けた。
複数の文化、習慣の洗礼を受けて、その中で一番大切なものを探り、又その違いを受け入れるプロセスは人を大きく育てるのではないか。