人種差別の日米の微妙な違い

「人種差別」の話になると、何か些細なことなのだけど、日本とアメリカとでは微妙にズレがあるのを感じていました。
それはいったい何なのか? あまり深くなく、表面的な違いについて考えていたところです。

日本の場合は人種差別はとてもいけないことだという信念というかポリシーを持つ人が多いと思うのですが、アメリカではもっと日常生活に密着した、具体的なところに位置していると思います。
別人種が目の前にきていやだなと思った時に、言葉を飲み込む、人種と結び付けて考えない、相手の立場に立って納得する・・・こういう努力.。
毎日の生活の中で人種問題はあちこちにころがっているから、努力をするかしないかが人種問題の分かれ目で、努力を重ねていけばいちいち人種を気にすることがだんだん面倒になってくるわけです。特にカリフォルニアのような人種の坩堝のような土地では。


例えば、ビデオ屋にDVDを借りに行く。
仮にそこのオーナーは白人の男性。連れ合いが白人の男性で、自分がアジア人の妻だとします。
このオーナーは連れ合いにはものすごく親切だが、自分にはなんとなく冷たいな〜と感じたとします。
さて、これは白人が白人には親切だけど、アジア人には冷たく差別をしたという「人種差別」なのでしょうか?


この話は、後でこのオーナーが「ゲイ」だと分かった。(これ、ほんとの話なのですが・・)
つまり人種で「差」を付けられているのではなく、男性である連れ合いが、男性の「ゲイ」のオーナーに気に入られた・・・というのが真相でした。


ヨーロッパのある国で日本の子供がその国の子供にいじめられて大怪我をした。でもその国の病院はどこも治療をことわり、しかたなく救急車は国境を越えてフランスの病院に担ぎ込んだそうです。これはマスコミも口を閉ざしてニュースにはなりませんでした。つまり、自国の国の子供がアジア人を傷つけたことに、臭い物に蓋をする・・・ということだったそうです。おそろしいことだと日本人のお母様方が言ってました。


これがもしアメリカで起こったとしたらもう大問題です。「アメリカではお金持ちか、お金を持っていないかで差別はあります。(オバマがこの点を指摘しました)が、人種が理由でこういう差別はできない国です。


性別の差別関係も、今は「ウエートレス募集」ではなくて、「ウエイト・パーソン募集」と書かないと性差別になります。「ウエートレス募集」だと女性だけしか採用しないので、男性が除外されているという差別コードに触れるからです。


セクハラもきちんと文章化されて工場などには張られています。
「随分胸があいたブラウスを着てるね」これはダメ。ひっかります。
「アトラクティブなアウトフィットだね」これはOK。
日本の新聞に「女優○○が胸もあわらなドレスでドキッ!」なんて記事の写真をみたら、ごく普通の肩を出したイブニングドレスでした。
職場の女性に「胸もあわらなドレスでドキッ!」な〜んて面と向っていったら訴えられて解雇されちゃう危険な表現です。


かくかくしかじか、とても身近な事柄の中から、まず法律で罰則を作って人々がいやでも気をつけるようなしくみになってます。
また人種差別の歴史をよく勉強して差別された側の気持ちを理解しようと努めている人は多いと思います。
こういう努力の部分は日本ではあまり理解されてないような気がします。「アメリカ人なんて努力してもしてもしたりないよ」とか、「それでも心の中では差別しているんでしょ。わかっているよ」とか・・・なにか無視を決め込まれているような気がするのですが、どうなのでしょうか?


但し70代後半以上の白人は人種差別を公然としていた時代に生活してきたから、頭の切り替えができなかった人はもう、今の世の中にはついていけないようです。白人のおじいさま、おばあさまだけの狭い世界でビンゴでもやるっきゃ生きる道はないみたい。
アメリカの白人は人種差別をしている」という人の多くは、アメリカはこういう老人ばかりだと思っていらっしゃるのかもしれませんね。


日本で「五体不満足」の本がでた時、私はとても感動しました。それは多くの日本人の差別感をくつがえしたと思います。
日本人は概して根がやさしい国民だから、相手のことがわかるととてもやさしくなると思うのです。