インド人移民の一生を描き『アメリカ』の断面が浮き上がってきた映画

「The Namesake」(名前を救う)という映画。1〜2年前か、もう少し前の映画だとおもう。DVDで友人から教えられて見た。
しみじみといい映画だった。

カルカッタ大学の裕福なインドの若者が、インドでお嫁さんを迎えてすぐにアメリカに来る。新妻はなかなかアメリカに馴染めない。そして、息子と娘ができ・・・・・
息子は不思議な名前を父から付けられる。
この名前を変えるかどうか・・・このストリーは名前に対する息子の思いの変遷に導かれて進んでいく。


子供はアメリカの若者そのままに育つが、両親にインドに連れていってもらい、タージマハールを見て、建築家を目指す。
新進建築家として名前が出てきて、典型的アッパー・ミドル・クラスの金髪のアメリカ人を恋人にもつ。彼女のペースで両親の家からとうざかっている最中に、突然父親が亡くなる。

彼はショックだった。父の最後にあえなかったのは自分が好き勝手に暮らして連絡もしなかったからだ。
父との思い出が鮮明に蘇ってきた。
亡くなる少し前、最後に会った時、自分の名前に対する父の思い入れと、父がアメリカに来た意味が明かされた。
なんと深い意味が込められていたことか・・・・。
父の「ここはアメリカなのだから何でも可能だ」という言葉に甘えて父の思いをやりすごし、父という一人の人間を見ていなかったことに気が付く。


父は若い時列車事故に会って、九死に一生を得た人だった。
「それ以後は毎日が自分にとってはギフトだった」という。


これ以後、ごくあたりまえのアメリカの若者であった息子の中にインド人の血が蘇ってくる。
アメリカ人の恋人とは別れることになる。
彼女の「何時までも亡くなった人のことを考えているわけではないでしょ、私たちの未来をかんがえましょう」という言葉と、彼の「これは自分の家族の問題だから・・」という答え。
「私はあなたの一部だとおもっていたけど・・あなたが今は遠く感じる。分からなくなった」という彼女は泣きながら去っていく。
そして彼はインド系の二世の娘と結婚するのだが・・・・


インド人の一世、二世、普通のアメリカ人・・・と、それそれがそれぞれに描かれていた。それぞれの特徴に説得性があり、どちらがいいとか悪いとかではない。

未来に焦点を置いて、過去を簡単に切り捨てることが可能なアメリカ人。未来と同じように過去も大切にするアジア人一世。
過去と未来をすっぱり切り離すアメリカ人でありながら、なにかの引き金で過去に目を向ける能力が蘇ってくる可能性を持つ二世。
これは日系でも、中国系でも、欧州系でも、アラブ系でも独自の文化と習慣をもつどの人種にも当てはまるアメリカの現象なのではないか?


そして、『過去と現在を切断してしまうアメリカ人』という切り口も言い得ていると思った。