ミッシエル・オバマの原稿なしの歯切れのいいスピーチはもう聞けない?

これからはどうあがいても党という大きな組織が強い影響を与えるわけだから、デベートもするだろうが、いれこまないことにした。

どちらに決まっても、大資本家とマネー・プレーヤー(?)たちが大ききくからんんでくるわけだから、好きにしたら・・・という気持ちはぬぐいきれない。


年収1億から5億くらいの中金持ちは身のまわりに見かけるが、概して個人生活の部分になると、変なところに「けち」だと言われている。
お掃除会社を経営している友人が言っていた。
「そういう人たちはお掃除をする人たちの最後の一滴までしぼりとる。
お掃除をする人達(ほとんどが中南米系)に対するいたわりなどかけらもない。かれらのエネルギーの最後までつかいつくそうとして、あれも、これもと用事をいいつける。」と手厳しく言っていた。
中産の人々からは感謝のことばがあり、お掃除をしている人も、「ありがとう」という言葉に遣り甲斐がもてる。
でも、お金持ちの人々には感謝のかけらもなく、なにか「労働力」としてしかあつかわれてないような気持ちにさせられる・・・と。
ま、全部が全部そうではないと思うし、『心の常識』のある人ももちろんいるが・・傾向としてそういうことは当たっているような気がする。


そういう層の人々が税金のがれのために大枚な寄付をしている。二つの党、両方に寄付する人もいるのだから、どちらの党になっても大差あるのだろうか?


オバマと夫人のミッシエルは大好きだけど、彼等も大統領になるためにはこういう『心の一部が麻痺した人達』を相手にしなければならないわけで、これからがかなりたいへんだろうし、大統領になってもどれだけ大きな力に飲み込まれていかないとならないか・・・・


ミッシエルの原稿なしのスピーチ。相手の目をみて話す率直な言葉はもう聞くことはできないだろう。残念だ。
なぜなら、ことごとく言葉の揚げ足をとられ批判の対象となるからだ。