アポカリプトはいい映画だったか?


監督のメル・ギブソンが酒酔い運転で捕まりマスコミを賑わす事件にまぎれてアメリカではこの映画の批評というと、まず、メル・ギブソン叩きが先にきて映画自体の批評までにはおよばなかった。


彼は前作の「パッション」で得た巨額の収益で教会を自分の敷地に建て、バチカンの正式の教会に・・・と要請したが、それは受け入れてもらえなかった。
ここまでキリスト教に狂信している人物がなぜ、酒酔い運転をするんだ!? 捕まった時に警官に吐いた暴言! なんということだ!教会建てるより自分の言動をいましめたらどうなの!?などなど・・・


酔いから覚めて(?)彼は平謝り。マスコミに「アルコール依存症で医者にかかってそこからぬけでようと努力しているが抜けきれていない。たいへんなことをしてしまった。」と自分で性癖の暴露か懺悔かをしていた。もう「アポカリプト」の宣伝どころではなかった。
そこであまり注意も払わず劇場には行かなかった。最近になってDVDで見た。
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映画の作りとしてはたいへん良くできている。
映画の出来の善し悪しは私には個人的なチェック・ポイントがある。それが一般的なものかどうかは疑問だが・・・


チェック・ポイントの第一はどれだけ観客を映画の中にひきづりこむことができるかどうか・・という点である。
★ これは十分に引きづりこんでくれた。


次にストーリーの展開がエキサイティングか、感動を与えるか、厚みがあるか、いづれにせよ魅力があって、しかも1本の芯が通っているかどうか・・・
★これもあると思うが、ひとつ気になった点がある。


その「芯」がキリスト教マヤ文明の悲惨な習慣から救った・・・という考えが底辺にあるのではないかという疑問である。
これは白人種のアメリカ人がよく使う論理。西洋人がアメリカ大陸を見つけて、インディオ、インディアンの土地を奪ったことへの弁解に必ず使われる。


または、西洋人はひどいことをしていたけど、マヤ文明期では、もっとおそろしいことが行われていたんだよ。西洋人だけではないんだという「責任分散型の主張」にも受取れた。


題名からもそんなことを連想させる。これはアジア人種であるインディアン、インディオへの肩入れを持つ私個人の偏見かもしれないが・・。


3番目は台本の良さ。
★マヤ語がメインなのでストーリーの筋を追うのに精一杯。字幕のサブタイトルの切り替えは私にとっては早かったので・・・。
せりふのやりとりで楽しむタイプの映画の作りではないとして、これは不問に帰すことにしよう。


4番目はキャスティングと役者の演技力。
★映画経験のない若者たちがとても新鮮でよかった。専門職の俳優ではこの味はだせなかっただろう。目に力があって、純真さが強く出ていた。これは拍手を送りたい。


5番目はカメラワーク
★半分ドキュメンタリー・タッチを出すように雑な追いかけシュートと、かっちりと映画としてのアングル、画面構成をしっかり計算しながらシュートされたシーンが計画的に混ざり、かなりの技術力だったと思う。


6番目は見終わった後、どれだけ残像が続くか・・
★この点でもインパクトの強い映画だったと思う。
いくつかのシーンが未だに目に焼き付いている。


7番目には史実に関してどこまで忠実か・・
★考古学者が何人か関与してかなり忠実なものを狙ったようだ。


でもマヤ文明をほとんど知らないものにとっては、学者の先生がスタッフに入ったのだから、忠実だったんだろうと信じるより他ない。
でも最初に書いたように一抹の疑問は残った。


結論として、好きな映画かどうかと問われるとかならずしも好きとはいえない。
でもインパクトの強い映画。たいへん良くできた映画。一見の価値がある映画と言える。