無罪になったO.J.シンプソンが「もし私が(殺しを)したとしたら」の本を出版。

フット・ボールのヒーローから俳優になったO.J.シンプソンが妻とそのボーイ・フレンド殺害の容疑者として捕まり、裁判で無罪になったのは約12年前。

検察側のすべての証拠の真偽より、人種差別で押しとうした弁護士。
陪審員に、アフリカン・アメリカンであるO.J.シンプソンが、人種差別により、無実の罪をきせられようとしていると訴え、陪審員が無罪と出し、結局彼は無罪放免となった。真犯人の捜査は以後もう行われない。そういう制度だからとのこと。ちなみに、その後民事にもちこまれ、そこでは有罪となって多額の賠償金を払わされたが、自由の身である。


当時は無罪か、有罪か、人種差別かどうかで、米国中が割れた。裁判長は、刑事、民事とも、人種問題に中立的立場をとれる、日系の裁判長があたった。検察側は最後のスピーチで「彼がやったんです。彼が無罪になってもそれは変わりません」という言葉を残して。


母を殺され、父が容疑者となった二人の子供たちは母方の祖父母のもとで静かに育てられている。
そして今、子供の父であるO.J.シンプソンが[If I did it]=「もし私が(殺しを)したとしたら」という本を出して、もう3.5ミリオンの売り上げとか。


出版をプロジュースした人は「彼に殺人の告白をして懺悔してほしかった。3ミリオンは彼のところにいくのではなく、彼の子供たちにいくようにしたい」と言っているが・・・本の中でO.J.が自分が殺したとは言ってない。あくまでも、「もし・・・」という仮定の話だ。


当時、事件を担当したL.A.警察の担当官は、インタビューで「こんな本をだしたら、被害者二人の遺族と特に子供たちはどう思うか。子供は「父が母を殺したとしたら」という本を読んで、どんなに気持ちがすると思っているのか。そんなことは少しも考えずに、ただお金のためにしているんだ。私たちにできることは、もうOJのやることはすべて無視して、彼が何をしようとしてもお金にならないということを証明していくことだ。」と憤りを押さえ切れずに話した。


Foxニュースのインタビュアーは「でも少しでも悔恨の気持ちがあるのではないか?」との問いに、彼は「2人も3人も平気で人を殺す人は殺したことを何とも思ってはいない。彼等は殺したすぐ後、ファースト・フードでチキンのから揚げにビールを平気で飲むような人がゴロゴロいる。普通の神経があると思わないほうがいい。」と言っていた。


陪審員制度については、あの後、アメリカでもその是非が随分話題になった。アメリカ建国の前に英国で、プロテスタントの人々が随分無実の罪で投獄されたり、死罪になったそうだ。そういうことがアメリカでは起こらないようにできた制度とのこと。ところが今は時代がかわり、陪審員制度の短所がいろいろ取りざたされている。