ビルマ(ミャンマー)に戦乱が起こらないように祈るのみ

2003年 5月より2年間、自宅監禁されているアウン・サン・スー・チーAung San Suu Kyi)女史。National League for Democracy (NLD)のリーダーで 1991年ノーベル平和賞受賞。

5月27日に過去17年の内で10年間監禁されていた。その期限を終え、監禁状態が解除されるはずだったが、現軍事政権は監禁を延長する。警官の数をふやして、スー・チー女史宅を取り巻いているそうだ。公式発表はないが、政府筋によると6ヶ月の延長だという。

選挙で、地滑りのように彼女のNLDが圧倒的勝利を勝ち取った2003年、選挙キャンペーンの際、5月に流血を見たぶつかり合いが起きた責任が罪状だ。彼女とNLDのリーダーたちは逮捕された。NLDのメンバーも多数投獄されている。

彼女は2003年より現在までたった一人で住まわされ、電話は禁止、外の世界を知るのは1ヶ月に一度だけNLDの人と会う時のみである。

国連のアナン事務総長はNLDのメンバーをすぐ釈放してスー・チー女史の開放をともに祝おうと述べたが、国連のガンバリ代表がビルマを訪問してスー・チー女史に会見したので、彼女は開放されると大きな希望をもったが、それはむなしく破れた。

軍事政権は1962年より40数年ビルマを牛耳っている。
YANGON, Myanmar (CNN) May 27, 2006

5月21日にもビルマアウン・サン・スー・チーAung San Suu Kyi)女史のことを書いたが、ビルマの人々は苦しんでいる。国際援助の食料もすべて軍事政権が軍備に使い人々の手元には渡らない。国際援助はただ軍事政権を肥やすのみ。ということで国際社会は援助の手を止めている。若者に充分教育を受けさせず、十分な仕事もなく、今後どうなるのだろうか。

スー・チー女史が立ち上がって正常な民主国家になることを人々は待ち望んでいた。でもこうして「ヘビの生殺し」のような状態を17年間も続けるということは、彼女が亡くなるか、人々の意欲がなくなるかを待っているとしか思えない。

こちら米国にもビルマから来た人々は多い。彼らは静かに日々の生活を営み、よく働き、回りに迷惑もかけず、声高に窮状を訴えたりはしない。じっと耐えている。
メキシコの不法移民を100人かかえるより、ビルマの人を一人招いたほうが米国のためになると言う人もいる。

なんとかビルマが正常な国になるように、皆スー・チー女史に賭けた。17年のあいだに諦めムードが定着してきたが、反対にもうこれ以上我慢ならないと民衆が武器をもって立ち上がったとしたら、たくさんの血を見ることになるだろう。そして、また、軍事政権と民衆側両方に武器をおくる武器商人たちが絶好のチャンスと売りまくり、内乱がはじまるかもしれない。

そういうことをさけるために、そしてビルマ民主化のためにイギリスに住む家族の元を離れ、ビルマに来たスー・チー女史。そして、武力に訴えようとする人々を静めてきた。

ガンジーという偉大なリーダーを得て、無血革命でイギリスから独立したインド。彼の精神を踏襲してビルマの地でこれが成るかどうか?? 21世紀になってこれが出来ないとしたらそれは悲しいことだ。
後は国際社会に頼るしか残された道はないであろう。...それはとりもなおさず、我々一人一人が少しでもいいからビルマへ関心を持つことから始まるのではないかと思う。

一人をも多くの人にビルマに関心をもっていただきたいし、共に学んでいきたいと思う。ビルマ料理はスパイシーでおいしい。
ビルマ料理のレストランがあったら、立ち寄ってビルマの人を励ましたら、きっと心強く思うだろう。彼らは「感謝」という精神を強くもっている人々である。

ビルマミャンマー)の基本知識:
1.ミャンマー料理レストラン
2.チェリーミャンマー語教室 -東京・神田にある教室。料理の作り方、豆情報、歴史も掲載。
3.難民を助ける会ミャンマー(ビルマ)
4.外務省のサイト:ミャンマー連邦
5.ミャンマー(ビルマ)の写真&情報