アフガン・スタイルのラップ・ミュージックって!?

Mapple2006-05-12

コーランからの言葉は使ってないよ。
写真の右中央:DJ Besho アフガン唯一のラップ シンガー(28才)
http://news.bbc.co.uk

By Tom Coghlan

「皆面白いと思っている。とってもおかしいし! これは歌ではないんだ。だってこの人は歌うんでなくて、しゃべっているんだもん」と若い男がステレオを聞きながら、マシン・ガンのように言葉が飛び出てくるラップについて語った。
ラップ・ミュージックがアフガニスタンに入って若者の間で大流行した。
アフガンの民族衣装ではなく、西洋の服を着た男:「ラップは大好きさ。英語の分かるアフガンの若者は外国のラップを聞いてきた。そういうたくさんのファンがいるんだ。今は我々は自分たちの言葉でラップを聞いている。」

一方、この流行を「ちょっと行き過ぎだ」という人々もいる。「ラップは新しい音楽で西洋化するのは好ましくない。アフガニスタンの伝統的な音楽が壊されてしまうと思う」と。

DJ Beshoはアメリカのラップ・ミュージシャンのいでたちで流暢な英語を話す。彼の本名はBejan Zafarmal。最初のビデオは上・下水用トラックを面白おかしくうたったものだった。タラバン政府が終わった2001年以後ここ5年の間に、10指に余るラジオ、テレビ局が外国の寄付により運営されていて世界中の音楽や出来事に触れることができる。そんな中、DJ Beshoのラップ ミュージックは若者の支持を受け広がってきた。アフガンの内部で今大衆の文化的な変化がじわじわと起きている。

インターネット・カフェも主要都市には現れて、1億人のアフガニスタンの人々が携帯電話を所有している。都会の若者は西洋とインドの文化を吸収しようとしているが、田舎の地方では極端に保守的な傾向である。
国のリーダーたちの間でも今の傾向がアフガンとイスラムの価値観を変えてしまうのではないかと懸念する意見が増えてきた。

DJ Beshoはアフガニスタン共産主義であった時代に、カブールで育ったが1990年の内乱の時家族はドイツに逃げた。彼はドイツではホテルマンの仕事をしていた。そして趣味は音楽であった。

アフガンは保守的だからラップで心配されるのはセックスに関する内容である。アフガニスタンはそういう犯罪が非常に少ない。だからそういうものに過敏に警戒するわけだが、彼は「そういう内容ではないし、コーランの言葉は使わない。自分の国を愛する気持ちについて、<愛>について書いて歌いたい(rapping)」と言っている。Tolo TVはDJ Beshoと契約をしたが、宗教関係からの批判を受けないため外国の音楽ビデオはオンエアーしないとのこと。

人口の60%が20才以下の若者というこの国で今は新しい波が広がっている時と言えよう。しかし、各家庭の中で新旧の摩擦が強く残っていることが現実ではないか。
BBC News、10 May 2006、Kabulより抜粋

写真を見る限り、まわりの少年たちのあの笑顔。こんなに楽しそうにしている笑顔が見られるのはなによりも嬉しいことだ。タラバンの頃には少年たちが銃をもち、少年の軽い体重が役にたつとして地雷の埋められた危険地帯を歩かされていた。そういう子達にはこんな笑顔はあらわれてはこなかった。
しかし一方、こうして又、世界モノカルチャーに属する人々が増えてくるのだという驚きも確かにある。世界中どこへいっても青春の思い出の音楽がビートルズ..という時代を越えて来た。それが今はあたりまえになり、映画、音楽芸術の分野ではさまざまな混血が自然に生まれている。

日本の芸者の物語(SAYURI)をアメリカ人が書き、アメリカ人が監督し、中国人と日本人の役者が演じて、踊りの振り付けは日本人とアメリカ人の共同作業。音楽は「ヨー ヨー マー」という中国人である世界的チェロ奏者が主人公の心をうたいあげる。こういう映画がヒットする時代になってきたのだ。

これを良しとするか嘆くかはそれぞれの判断にまかせるとして、とにかく「時代」というものは流れる。世界中がだんだん一つのキルティングのようになっていくような気がする。地球規模で考えないとならない時代に即応して、自然の流れは随分前から世界モノカルチャー化の方向を示してきたのかもしれない。それが永い「時の流れ」のひとつの過程なのだとしたら、きっと今失っていくように見える個々の国の文化もいつか調和の中で蘇るであろう。それを念じて流れを見ていきたいと思う。