男と女は違う

あるラジオ局で男と女の違いを調査するといっている。
ホストは「男と女は違うんだ。これから次のアンケートをとるから電話で答えてほしい。」と。
「まず、異性のルームメートを募集する。その条件は家事の手伝いをする。男なら力仕事とか、庭の掃除。女なら家事。そういう仕事をして、週に2回親密な接触のタスクを果たす。」この条件でルームメイトになりたい人、なりたくない人の比率を男女別に出す。そこに男女の違いがでてくるのではないか?」ということだ。
このアンケートの条件は男性の視点なのではないか。「ルームメイトになって、親密な関係をせまられるのが、いやな人といやでない人としたほうがより、はっきりと違いがでてくるのではと思った。

こちらでは異性のルームメイトと一緒に暮らす人が結構いるが、そこにはほとんど特別の男女関係はうまれないようだ。まわりも異性のルームメイトがいるからといって特殊な目では見ない。
結果は来週なのでこのアンケートの分析はどうなるかはまだわからない。

話かわってテレビの9チャンネルでアフガニスタンの女性問題についてアメリカ人の女性のレポートがあった。彼女もベールをかぶって取材。

家族の娘、姉、妹がベールをかぶらなかった場合、家族の男性は友人、近所からさんざ言われるそうだ。だから、家族の女性にベールをかぶるように男性たちが強要せざる得ない。
ある雑貨店の中年の店主にベールの問題や女性が学問を受ける問題について質問すると「自分は自由にさせてあげたい気持ちがあっても、まわりのうわさでそれは不可能になる。そのうわさの威力は銃でうたれるようなものであるから。やはり家族の女性はベールをかぶってもらいたいし、家にいてほしい。」と。

もう一軒の家族でレポーターは弟を交えて姉妹たちとこの問題を話しあってもらう。長女がベールをかぶらずに外に出てそれがうわさになり、家族の男性はとても迷惑をこうむっている。姉に言わせると頭からすっぽりとベールをかぶていたが脱いだらとても気持ちよかった。だからかぶりたくない..と。
弟は「それであなたは悪い女のレッテルをはられているんだよ。我が家から悪い女がでてしまって耐えられない。外に出るときはベールをかぶってくれ。それでも一度出てしまったうわさはもとにもどせないんだ。」と言っている。

番組は70年代の古い写真を紹介している。白黒の写真だが、ベールをかぶらない、かぶっても簡素なものを頭に巻くだけのスタイルで女性たちがたくさん写っている。政府の女性高官の説明によるとタラバン以前は自由だった。女性も大学にいったり、留学したり、服装もベールも付けずにいられたということである。

ある女性が7才の時、70才の男性と結婚させられ、家族は男性からお金をもらった。これは婚礼のしきたりのようである。女性は家族がおなかをすかせているからと、15才まえに同居したが、いつも殺すぞとおどかされ、離婚を願って人権問題の国際機関に逃げ込み、今離婚が成立した。まわりの人は一度結婚してしまったから、彼女の再婚の時の値段はかなり下がっているというが、彼女は「もういやだ。自分の気にいった人と暮らしたい」と言っていた。

男と女はたしかに違うと私は思う。
それぞれの特質というものがあるし感じ方も違う。しかし社会として考えた時はやはり共栄共存であってほしい。男にだけ都合のいい社会とか、女にだけ都合のいい社会とかには住みたくないものだ。違いを認識することは双方にとっていいことではないだろうか。そういう意味でなにがなんでも男女均一から違いを探り、認識しようとするのは必要な過程だと思った。

一般的に西洋では日本は男がいばっていると認識されているようだ。私が日本では夫が女房の肩もみをする話をなにげなく話したら、「え!! 日本の男性はやさしいではないの」という。「そうですよ。ある意味ではアメリカの夫たちより妻に自由をあたえているのではないか。それは違いを認め合っているからだと思う。」と言ってしまったが、これは何の統計結果も調べずに自分のまわりの人々から判断した発言であるが、ほぼ間違いではないことを願っている。