カテリーナではぐれた親子

The National Centerの発表によると、カテリーナの避難の際はぐれた親子が1500件。子供が親を探し、親が子供を捜している。そのうち258件は解決して子供が親の手に戻った。中学、小学生、それ以下でもしゃべれる子供はまだいいが、しゃべることのできない赤ちゃんはボランティアーの腕にだかれて名前さえ知ることもできない。
顔写真を避難所のあちこちに張り出して親を探している。
なぜ、はぐれたかはもうあのドサクサの中で起こってしまった悲劇である。いくつかのケースでは、親が子供をまず避難バスにのせて、親は後発のバスで同じ避難所に着くと思っていたがはぐれてしまった。子供を乗せたバスの行く先と親が着いたところが別の避難所だったというケース。
別のケースではおばあちゃんが赤ちゃんを連れてバスに乗り込んだ。赤ちゃんは1歳4ヶ月。親は別のバスでヒューストンに着いたがおばあちゃんも赤ちゃんも行方不明になっている。
見つかった親たちは子供を抱きしめて涙にくれていたが、すべての子供たちがこのように必死に親から探されているのかどうか「そうだ」とは言い切れないものがあるような気がしてならない。
何をおいてもまず親が子供を必死にさがせば、もっと多くの子供たちが親のところに帰れているのではと思うのだが。
親を待つ子供たちがたくさん、ボランティアーに囲まれて今暮らしているのだ。
これはあくまでも私の想像だが、今の避難生活が一段落するまで施設で暮らしている方が子供にとっても親にとってもいいと思って、生存の確認と居場所の確認ができた以上、安心して引き取りをのばしている親がいるのでは......と。もしかしたらそれは冷たさではなく合理的な考えなのかもしれない。子供をひきとってもあのごちゃごちゃの避難所では親も子供もたいへんだから。
いやいや、こんな私の想像は間違っているにちがいない。きっと、必死で探しているのに見つかっていないのであろうとひそかに願うのだが....。