ハリケーン避難者

ハリケーン避難者の約20万人がテキサスのヒューストンにいる。彼らは避難所にぎゅうぎゅう詰めにされている他、教会や、親戚の家にいる人々、またハイウエーの下などにホームレスのように滞在している人々もいるそうだ。これから冬になる。テキサスの冬は厳しい。それまでになんとかしないと、これからは救済側も時間との戦いになるであろう。
ヒューストンは石油関係等の巨大企業がたくさんあり、避難所の人々が工場で働くよう呼びかけ、すでに希望者は働き始めている。工場はバスをだして避難所まで送迎をしている。
ニューオリーンズは過去20年間の間に人口の20%を失った。ニューオリーンズでは職がみつからないから、皆テキサス始め他の州に移住するわけである。
この度これを機にヒューストンで職ができた人々はそのまま戻らない人も多く出るだろう。ヒューストンの工場の安い労働力はメキシコ移民であったが、ここにカトリーナ避難者が入ってくると将来的にメキシコ移民との間に摩擦が生じる可能性も出るかもしれない。

キャロライナのある企業が避難民に職を用意してヒューストンから飛行機を差し向けた。飛行機は就業希望者を乗せて飛び立った。企業側は出迎えの準備をして飛行場で待っていたが飛行機は来ない。調べたらその飛行機は間違って別の州の飛行場に皆を連れて行ってしまっていた。あわてて目的地に飛びなおして一件落着したが、これはラジオだけでなくテレビでも「今日のワースト5」の出来事に入れられていた。

今だニューオリーンズに留まる1万人近い人々。様々な理由で留まっているようだ。避難しても収容所の状態が著しく悪いからいいやだという人もけっこういる。今、兵隊が一軒、一軒、ドアをノックしながら残留者を探し、退避させている。町の一部を除きまだまだ水浸しだ。その水はトイレの汚水が混ざり、その上、化学毒物が流れ出してきてかなり危険な状態らしい。市長が頑固に留まる人々の説得にあたっているところである。

貧しい人々の住まいはスレーブ時代からのものも含まれ、とおりに面する玄関から、細長く奥にリビング、キッチン、ベッドルームと一直線に並ぶ間取りの家である。通称「ショット ガン ハウス」と呼ばれる。玄関のドアから銃を撃ち込むと、そのまま弾丸が家の中を通過して、裏のドアを通り越して裏庭まで届くということのようである。

それでも住むのに安い。また何もない彼らの所有するたった一つの財産なのだ。ここに今開発のメスが入れられようとしている。近代的な洪水対策も考慮されたアパートを作ろうということだが、そうすると家賃が高くなる。真剣に働かなければ家賃は払えない。彼らはそれは望んではいないわけで、今までどおりの生活を続けたいのである。今立ち退いたらどうなるかわからないから留まっているのだ。避難者の中にも元通りのところにもどりたいと言う人は多い。

余談だが、そういう人たちの気持ちは南部に住んでみないと分からないと、南部に生活したことのある人は言う。合衆国の北部の人たちや、カリフォルニア、特にベイエリアの人の感覚からは理解に苦しむ問題が含まれている。ベイエリアにもアフリカンアメリカンや南太平洋からの移住者が住むイースト パル アルトという町がある。スタンフォード大学をもつ高級住宅地パル アルトに隣接していて、道を一本隔てると鉄格子に囲まれた酒屋、小さな食料品店が並ぶ。ここはもう別世界。犯罪も多かった。そこがこの数年でオフィス街に変わった。ホテル フォーシーズンズも建った。このホテルは従業員をイースト パル アルトの出身者を優先的に雇用し、住民からとても喜ばれている。ニューオリーンズでこういうケースがサンプルになるかどうか......、南部に住んだことのない私にはわからない。